「2018年問題」#労働法 #雇止め
これは「2018年問題」の記事。
俺も労働法に関わる事案なので気になっていたが、
(この改正に動いたのは民主党政権時)改正労働法で企業は5年ルール(非正規社員でも5年契約を更新すれば
労働者からの求めがあれば「有期雇用」から「無期雇用」転換するようにしなくてはならない)
という規定ができ、2018年4月にその「5年ルール適応」の1回目が始まる。
この新聞記事をみる限り、やっぱり企業は卑怯で
どうやったら、「雇い止め」ができるかということに躍起な企業も多い。
日立製作所(この記事に忠実に言えばジェンソンエンドジェンソンとの合弁子会社)
とかもそう。日本を代表する企業もヘーキでそんなことやってる。
俺が驚いたのは、本来労働者側に立つべき(だと俺は思っている)
社会保険労務士
でさえも企業向けのセミナーで
「どうすれば法の抜け道を使って雇止めが穏便にできるか」
という労務管理担当社員へのセミナーをやっているらしい...(ひどいなあ..)
--突っ込んで言えば、
*あえて継続雇用の空白期間をもうけて5年に合算させないようにする
*5年が立つ前に雇止めをする。
(そうすれば5年ルールでの訴訟などが起こされにくい)
*契約書にこっそり〇〇月31日で更新はしないと
最後に一行書いておく
など...
やはり非正規社員は企業にとっては正社員の雇用を守るための安全弁か
経営悪化を防ぐためのコストカットや都合のいいようにみられていることは間違いない。
働き方改革が叫ばれているが例えば「2018年」問題について国会で問題にするとか
政府がもっとスピード感を持って動くとかは今の経団連の意向を汲みやすい政権では期待薄であろう。
#労働法 #雇止め #非正規問題 #社会問題
ストーカー被害にあった時には。
2017年ストーカー防止法が改正
(SNSなどのネットストーカーも「ストーカー行為」に含む)
-- 改正背景は三鷹市の事件
されたとはいえ、
いろいろ警察は敷居が高いし、かえって警察官も
「あなたも悪いとこあったんじゃないですか?」とか
セカンドレイプ的な言動を吐いてくる輩も多いらしー。
(*注釈 セカンドレイプ:犯罪被害にあっている/またその危険性がある女性に対し、
二次被害的に名誉を傷つける言動)
なので、
近くにある女性センターや「法テラス」に相談する手もある。
むしろそちらの方が敷居が低く、中立的。
かつ安全性や守秘義務も守ってくれる。
女性のスタッフも多い(特に女性センター)ので被害を相談する時には
まず、そこを最初に頼った方が気持ち的にラクかもしれない。
例えば、
渋谷区女性センターアイリス:
(以下アイリスで受けられる支援)
アイリス相談のご案内
渋谷男女平等・ダイバーシティセンター<アイリス>では、ジェンダーやセクシュアリティに関する問題解決に向けた相談を行っています。
アイリス相談のご案内
渋谷男女平等・ダイバーシティセンター<アイリス>では、ジェンダーやセクシュアリティに関する問題解決に向けた相談を行っています。
相談 相談日 相談員 電話
法律相談 火曜日(月2回)
13時~16時(一人45分) 弁護士
事前予約 03-3464-3395各月の1日から受付開始(※1日が休館日の場合は、その翌日から予約受付となります。)
悩みごと何でも相談 金曜日(月2回)
13時~16時(一人50分) 心理カウンセラー
性的少数者のための
にじいろ電話相談 土曜日(月2回)
13時~16時(一人30分) LGBT専門相談員 専用電話 03-3464-3401(相談時間のみつながります)
その他の相談窓口
DV相談(豊島区配偶者暴力相談支援センター)
電話:03-6872-5250
受付日時:月曜~土曜午前9時~午後5時(正午~午後1時を除く)
東京ウィメンズプラザ
電話:03-5467-2455
受付日時:毎日午前9時~午後9時(年末年始を除く)
東京都女性相談センター
電話:03-5261-3110
受付日時:月曜~金曜午前9時~午後8時
法テラス
最後に支援機関
ソーシャルメディアの時代の(社会においての)メディア機能の変容
今は情報過多の時代で、メディアも(主にネット,SNS)もオプションが増えた。特にネットメディア系の独特の「特性」、もっといえば「負の危険性」、つまりふとしたことで炎上したり、極端な意見に流れやすい10年前,20年前とは全く違ってきている言論形成プロセスが社会の風潮に影響し、既成事実として積み上げられていく流れがあるということも(ここ何年かでの社会におけるメディアの機能の激変)あるかもしれんなと個人的に感じる今日この頃...
上述のような社会のメディア機能の激変により、熟議的デモクラシーがますます希薄化し、ポピュリズムの大きな伸張に繋がっている情勢の要因の一つになっているような。
かつてハーバマスが刊行した本のタイトルである「公共性の構造転換」がまた新しい感じで進行中なのかも..
追記:ただ、この邦訳文献は大学時代に読んだが、翻訳が非常に読みにくい。しかも、ハードカバーで重いし、そういう意味でも読みにくい。だからどっかの編集者さんが気づいて、文庫で新訳刊行した方がいいと思う。
- 作者: ユルゲンハーバーマス,Jurgen Habermas,細谷貞雄,山田正行
- 出版社/メーカー: 未来社
- 発売日: 1994/06
- メディア: 単行本
- 購入: 5人 クリック: 43回
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工藤啓・西田亮介『無業社会ーー働くことができない若者たちの未来』朝日新聞出版(2014)
工藤啓・西田亮介「無業社会」予約したけれど、若者に対して多様な支援や支援の選択肢が限られていたり、就業を希望してもいろいろな日本独特の企業社会の合理性のない慣行のために追い込まれたり、不利になったり就業できなくなるということは今後高齢化で成長が見込めなくなる日本にとって、潜在的に貴重な労働者として戦力になりうるナイーヴな若い人々を厳しい環境下に晒し、希望を奪い、心理的に潰すことになる。
即戦力とか厳選採用とかではなしに長い目でじっくり育てるという余裕のある認識やコースで採用する(しかし企業に余裕がないというところもあるかもしれないが)などなにかと「〜力」を重視する企業社会の価値観を変えることによって社会的に包摂するという考え方もあるのではないだろうか。(そこには俺たちはこんなに残業とか一生懸命やっているのにあいつらは...といったようなみずからの利益しか考えず『社会』について考えることを失った卑小な人間が多いと推測されることが巨大な壁だが)
そうすれば若年無業者を減らし、ルサンチマンによる社会不安の対策にも寄与できるし、社会の安定や若者の生活の質を上げることになる。しいては経済的な対策になる。引きこもったりしたらそれこそ生産に貢献する度合いはゼロになるのだから。若者を叩くより、大人の責任を果たすことが先だろう。
みずからを「社会人」と称するのならば、自分の企業利益のことだけでなく、広く社会のために社会を構成する重要なアクター(経済が主だが、雇用を生み出す役割もある)である企業はなにをできるかということを全体性を俯瞰し考える必要があるのではないか。企業の利益や経済合理性だけでしか物事を見ないのならばそれは「社会人」ではなく「会社人」でしかない。
もちろんCSRという考えや実践もあるが、それは専ら自社のイメージアップという広告的戦略の道具として使われているケースが多い気がしてならない。 そして、山積する社会問題などは政治に丸投げし、政治家を叩く。 『社会』のなかの企業として何かできることを問う姿勢が必要ではないか?
加藤典洋『戦後入門』をめぐって
加藤典洋さんは明治学院にいたこともあって、(国際学部の授業に潜ったこともあったっけ。ちなみにそのポストをついだのが高橋源一郎 現明治学院大教授 *もちろん筆者は明治学院大卒)
僕に日本語と批評という営みを明瞭にものすごくシンプルに氷解させてくれた人だけど、
昨年、加藤さんの集大成とも言えるこの本の出版を心待ちにして図書館で早めに予約をかけて読んだ。
読後感はあまり感興はなかった。「敗戦後論」の続きで具体的な「ならどうすれば良いか?」ということを書いていたが
確かに首肯できる部分もあるけれども、現下の国際政治のリアリズムから考えて加藤典洋のそのソリューションはいささか
現実性が乏しく空理空論のように俺には感じられた。
ということなのでデビュー作である「アメリカの影」を読んでみた。時代の文脈をカッコに入れても、ここでは江藤淳「成熟と喪失」田中康夫「なんとなく、クリスタル」を手掛かりに何か本質的なことを述べていると思った。
日本が戦後失ったもの。
俺はその中でも西欧化・近代化による日本の”自然”の喪失を深く読み取る。
3・11を経て、5年後の日本の状況からは。
横光利一の死の際に川端康成は「私は日本の自然・花鳥風月こそ日本人の本質だ。それを私は文学者として生きる」といった後に〈生きれなく〉なって自死した。
俺は昭和60年生まれだが、加藤典洋や江藤淳そして今読んでいる
「終末の思想」nhk新書(2013年)の著者 野坂昭如の感性に何かとても共鳴してしまう。
それは何なんだろう。そして俺と同世代やそれより下の世代とのその共感を共有できない時代はなんなんだろう。周りを見てもそんな滅びの予感やむしろ滅亡へ、敗戦直後のような焼け野原にリセットされることを密かに願うような俺の欲動などは、どうでもいいことなんだろうなと。
そして、そんな自然=日本を解体した、動物化(東浩紀)の快楽の中に生きる私たちの、日常の〈自明性〉を問い直すとしたら....
そんな懸隔など何も感じないような空気の中に生きる我々は何なんだろうと激しい違和感みたいなものを感じる俺がいる。3・11も5年が経てば、それはその瞬間現実にあった悲劇や死や血なまぐさい光景は減菌脱色されて、
シュミラークルとしてTVから流れる甘ったるい復興ソングと悲劇にある美談がことさらに持ち上げられ、語られ、当事者ではなかった人々に消費されるだけである。
ラジオで流れてきた国会中継
先日は皮膚科の診察をして、昨日、午前中に紹介状をまた病院まで取りに行ったので、午後は暇でぼーっとしておった。
NHKのラジオをつけたら、国会中継をやっていた。
自民党・公明党の質疑はつまらないが、民主党の蓮舫議員と山本太郎と〜(以下略 の山本太郎議員の質問がおもしろかった。
蓮舫議員は安保法制の改正自衛隊法と安保法案について法律の条文の準用規定について理詰めで中谷防衛大臣を糾していた。
(うろ覚えだが、問題になったのは確か攻撃を受けた時に自衛官が独自に判断し応戦していいのかとか、ほぼ無限に拡大解釈の幅を広げうる条文の作り方の問題とかだったと思う。)
蓮舫さんは好戦的だし、受け/攻めでいえば、いかにもガンガン攻めなので答弁する中谷氏もタジタジだったが、まあそれには糾されるべき必要がある条文・法案だからしかたない。