『七月の炭酸水』

うどんが好きな、場末人の生存と残像。

【昨日『グループスキーマ療法』が家に届いた】

 

グループスキーマ療法―グループを家族に見立てる治療的再養育法実践ガイド

グループスキーマ療法―グループを家族に見立てる治療的再養育法実践ガイド

 

 

 

感動を通り越して感慨深かった。
翻訳を拝読しても、ここまでチームの4年間の労力は
決して監訳者の責任ではなく、チームで「良い作品」を作ろうという愛情の表れだったように僕は感じたし、それだけ密度の濃い
圧倒的な質の翻訳になっていると読んでいて感じた。

個人的なことでは、27歳の若書きで処女翻訳ということを差し引いても、自分の「物書き」としての課題も浮き彫りに最近なっている。
この仕事からだけではなく、最近ビジネス文章やいわゆる「大人の文章」「相手の立場に立った文章」と言った点からは個人的に課題があると感じている。

それは俺が文学青年ゆえ、しばしば美文調になってしまっているクセだ。
特に専門書だともっとソリッドに訳さないとダメだということ(形容詞や副詞を過剰に(ナイーヴに?)訳文につけたがる美文調の悪いクセ)
は前作のモードアプローチと今回のGSTで痛感した。

もちろんこれは翻訳だけでなく、あらゆる文章にも共通する。

普段から書類や書き物をしてもついつい「書きすぎて」しまう。
よく言えば、繊細に丁寧に取りこぼさないように書いているとも言えなくもないが、
どうしてもソリッドにシャープに書いた方が相手や読者に伝わりやすいという点も重要である。

「書きすぎない技術」も大事だと思うようになった。

ただそれを意識するがあまり自分の個性や文体のビートを殺してしまっては元も子もないのだが、TPOに合わせモードを切り替える
フリーハンドの文章でも推敲してみる、時には「書きすぎない」ことも意識してみることでさらなる文章の技術のレベルが上がるのではないかとも感じている次第である。

いずれにせよ、27歳の若書きがいまとなってみれば恥ずかしいなとか未熟だなあとか感じ入った昨晩であるが、

恥をかいてでも「チャレンジ」しなければ何も始まらない。

そのことを考えると私個人にとっては本当に素晴らしい経験であり仕事であったな。と幸せを感じ、形になったGSTに対して愛情を持っている。

「グループスキーマ療法の翻訳チーム(グループ)」に心から感謝を申し上げたい。
僕もその仲間として未熟で微力ながらも身を削りながら一生懸命翻訳をしたことに何ら偽りはないから、チームの一員としても個人としても誇りに思っています。ありがとう。