『7月の夜』
いつしか、
あったかい優しさと温もりがあった言葉も、何かのほんの些細なすれ違いでいつの間にかセメントのような言葉にすり替わって、二人の温度は冷えてゆく。降り積もる時がさらに二人を洪水のように二人を押し流し、引き離していく。
恋愛における無償の愛は可能か?(未推敲・未校正)
台頭するポピュリズム
非常に重要なことが述べられている良記事。日本の政治についても極めて示唆的である。
社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
- 作者: ジョナサン・ハイト,高橋洋
- 出版社/メーカー: 紀伊國屋書店
- 発売日: 2014/04/24
- メディア: 単行本
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今日は憲法記念日ということでオススメの本3つ
【前の「政治・経済」の記事に関する補足ー「法治国家」と「法の支配」の違い】
「法治国家」と「法の支配」のコンセプトの違いで何が一番違うかということを補足したい。
端的に言えば「法治国家」という概念の理論上はいわゆる「悪法も法なり」ということを許容できてしまう。卑近な例で言えば、世論調査でも国民は批判的で反対する人が多い集団的自衛権や特定秘密保護法など...
一方で「法の支配」というのは国民が法を代議制民主主義を通して、民意を反映させて権力者を「法で縛る」というロジックなので現実的なことは措いておいて「悪法も法なり」ということを防止するコンセプトであるのを強調した意味を含むのが一番の相違点かなと思う。
しかし、日本の代議制民主主義のリアルからはおおよそ、そのコンセプトや概念が機能しながら民主主義が回っているとは思えないし、そもそも民主主義を運営する前提が様々おかしいということから機能不全に陥っていることは間違い無いだろう。
しかし、コトバというのは大事だ。
常套句のように手垢やヘドロにまみれた「コトバ」を丁寧に洗って
再びその「コトバ」(そのコトバが生まれた歴史の背景や概念やコンセプトを含め)本来の活力を取り戻させる営みがまず必要だろう。
【最近高校の教科書を復習シリーズー「政治・経済」編】
神保町の三省堂本店で今「高校教科書フェア」というものがやっていて
教科書は基本的に消費税非課税かつ安いので「政経」と「倫理」の高校教科書(山川出版社の)をこないだそれぞれ456円で買った(安っ!)のが始まりである。
しかし、高校の政治経済でも甘く見てはならん。
例えば政治のsectionでも「法の支配」と「法治主義/国家」の違いをコンパクトにわかりやすく説明している。
テレビを見ていても、日本の政治家は「法の支配」とは言わずに日本は「法治国家として〜〜」という発言がよく散見される。
でも、その「法治国家」は教科書の中ではどっちかというとdisられ気味で19世紀の"人の支配"も伴う余地がある「法治主義/国家」から
「法の支配」となり、為政者や君主や政治家は国民主権の国民が制定した法律のもとで政治を行うこと(「法の支配」)にupdateされ、好き勝手できなくなった。
と素直に教科書読めば対比されつつ、そのような流れなので。(いまの日本の政治の悲惨な現実はとりま措いておくにしても)
日本の政治家は少なくとも、高校の「政治・経済」レベルすら危ういのか...くそうみたいに賢い高校生だったら感じるだろう。
実際、高校の「政治・経済」が危うい国会議員は多そうだ。
現に俺も高校生の時はそう感じていたし、高校生の時は受験科目として「世界史」を学んでいたのでイラク戦争開戦前の時に日本がフランスやドイツみたいに
国連で丁々発止の議論をなんでしないんだ!平和憲法あんだろくらぁ!!と歯ぎしりをしていたことを思い出した。
(もちろん日本の国防を日米安保に任せているからあんま言えない→だから防衛費増やして核武装すべきとか
いやいや、憲法9条と憲法前文の趣旨からスイスみたいに「非武装中立」でとか(今は中国が台頭しているからそんなこと言えないけど)、
いや、アメリカにガツンと言うことができない不自由さはあるが、日米安保の方が国防費や安全保障的にコスパがいいじゃんとかまで踏み込んで当時はいろんな視点から考えられなかったけど...)