『七月の炭酸水』

うどんが好きな、場末人の生存と残像。

台頭するポピュリズム

bylines.news.yahoo.co.jp

非常に重要なことが述べられている良記事。日本の政治についても極めて示唆的である。

 

 

社会はなぜ左と右にわかれるのか――対立を超えるための道徳心理学
 

 

今日は憲法記念日ということでオススメの本3つ

 

憲法に緊急事態条項は必要か (岩波ブックレット)

憲法に緊急事態条項は必要か (岩波ブックレット)

 

 

 

憲法と政治 (岩波新書)

憲法と政治 (岩波新書)

 

 

 

憲法1 人権 (有斐閣ストゥディア)

憲法1 人権 (有斐閣ストゥディア)

 

 

【前の「政治・経済」の記事に関する補足ー「法治国家」と「法の支配」の違い】

法治国家」と「法の支配」のコンセプトの違いで何が一番違うかということを補足したい。

端的に言えば「法治国家」という概念の理論上はいわゆる「悪法も法なり」ということを許容できてしまう。卑近な例で言えば、世論調査でも国民は批判的で反対する人が多い集団的自衛権特定秘密保護法など...

一方で「法の支配」というのは国民が法を代議制民主主義を通して、民意を反映させて権力者を「法で縛る」というロジックなので現実的なことは措いておいて「悪法も法なり」ということを防止するコンセプトであるのを強調した意味を含むのが一番の相違点かなと思う。

しかし、日本の代議制民主主義のリアルからはおおよそ、そのコンセプトや概念が機能しながら民主主義が回っているとは思えないし、そもそも民主主義を運営する前提が様々おかしいということから機能不全に陥っていることは間違い無いだろう。

しかし、コトバというのは大事だ。
常套句のように手垢やヘドロにまみれた「コトバ」を丁寧に洗って
再びその「コトバ」(そのコトバが生まれた歴史の背景や概念やコンセプトを含め)本来の活力を取り戻させる営みがまず必要だろう。

【最近高校の教科書を復習シリーズー「政治・経済」編】

神保町の三省堂本店で今「高校教科書フェア」というものがやっていて
教科書は基本的に消費税非課税かつ安いので「政経」と「倫理」の高校教科書(山川出版社の)をこないだそれぞれ456円で買った(安っ!)のが始まりである。
しかし、高校の政治経済でも甘く見てはならん。
例えば政治のsectionでも「法の支配」と「法治主義/国家」の違いをコンパクトにわかりやすく説明している。

テレビを見ていても、日本の政治家は「法の支配」とは言わずに日本は「法治国家として〜〜」という発言がよく散見される。
でも、その「法治国家」は教科書の中ではどっちかというとdisられ気味で19世紀の"人の支配"も伴う余地がある「法治主義/国家」から
「法の支配」となり、為政者や君主や政治家は国民主権の国民が制定した法律のもとで政治を行うこと(「法の支配」)にupdateされ、好き勝手できなくなった。
と素直に教科書読めば対比されつつ、そのような流れなので。(いまの日本の政治の悲惨な現実はとりま措いておくにしても)

日本の政治家は少なくとも、高校の「政治・経済」レベルすら危ういのか...くそうみたいに賢い高校生だったら感じるだろう。

実際、高校の「政治・経済」が危うい国会議員は多そうだ。

現に俺も高校生の時はそう感じていたし、高校生の時は受験科目として「世界史」を学んでいたのでイラク戦争開戦前の時に日本がフランスやドイツみたいに
国連で丁々発止の議論をなんでしないんだ!平和憲法あんだろくらぁ!!と歯ぎしりをしていたことを思い出した。

(もちろん日本の国防を日米安保に任せているからあんま言えない→だから防衛費増やして核武装すべきとか
いやいや、憲法9条憲法前文の趣旨からスイスみたいに「非武装中立」でとか(今は中国が台頭しているからそんなこと言えないけど)、
いや、アメリカにガツンと言うことができない不自由さはあるが、日米安保の方が国防費や安全保障的にコスパがいいじゃんとかまで踏み込んで当時はいろんな視点から考えられなかったけど...)

 

 

報道の自由度、日本の転落止まらず 海外から厳しい指摘:朝日新聞デジタル

www.asahi.com

 

 いろいろ安倍政権や官邸が報道に対しゴリゴリ介入している現状も由々しき事態だし、
社会の公器たるメディアとしての自由度がじわじわ狭められていくのは怖いし、市民としてしっかり監視しなければいけない。


 しかし、一方でメディア側がイノセントかというとそうでもない部分がある。

それは軽減税率の件で新聞が対象になっている是非について最後まで新聞は自分には甘いのか論じなかった。


 もはや、昔と違って新聞を取る人・世帯も減少している。(生活に余裕がなくなっている)
現状、新聞は比較的裕福な人や世帯が購読している。そこの格差も様々問題であるが、
裕福な層が軽減税率の恩賜を受けても、それは「逆進性」が高いだろ。というような論点を
新聞は真摯に提示しなかった。

 

 そこはメディア側が狡猾とまでは言えないが、
政権批判をするだけでなく、真摯に自分(新聞紙各社)の既得権益という痛いところを論点として提示しないのはずるいなあと思う。

 
 
 

僕を通り過ぎた女の子

僕はこれまで、好きな女の子には傷つけられたり、少し病んでいる女の子と映画を見て一緒に泣いたけど、音信不通になってしまう(たぶん風の噂で暗に聞いても自殺だろう)女の子がいたり、一生懸命支えても、裏切られるようなことをされる女の子を好きになったり

 

なんだか、悲しい体験ばっかりしている。
せめて夢の中でも出てきたりしたら、とかどっかからひょいっとまた現れたりしてくれないかなとか。


ここ何年か俺は何かしら病んでそうな女の子がが寄ってくる傾向が多い。

 

いずれにせよ女のひとは綺麗な純朴なマリア様でもない。

俺の名前は神様なんかじゃない、君が泣いていても僕は何にもしてあげられない、僕は無力で飯食って、寝て、性欲がある無力な不完全な人間だ。

 

でもその女の子たちは、離れていってもう二度と会えないけれど、心の中に「いる」。
僕の旅の途中で出会って親密に話ししたりした女の子たちにはもう会えないけれど、それを考えると、俺の心に愛しさや悲しみがないまぜになってなんだかなんともいえなくなって、メンタル的に具合が悪くなった。もう、僕を愛してくれる人なんていないと。よこしまな欲望抱えるくらいなら、いっそ消えた方が楽だと。昨日。

 

「女の子はわがままだ/よくわからない生き物だ/でも優しくしてしまう/何も返ってこないのに/大人になった女の子/僕をどこまでも愛してくれよ/何も持て余さないで/好きだという気持ちだけで/何も食べなくていいくらい/愛しい顔を見せてくれよ」

くるり『男の子と女の子』)

 

『科学・技術と社会倫理: その統合的思考を探る』

最近、原発差し止め訴訟や遺伝子リスクに対する保険商品が日本の保険会社でも(バイオテクノロジーにも触れるであろう保険商品)いよいよ売り出されるようになったので、

この分野(STS)と「〈生命〉の社会学」も突っ込んで学んで自分なりに考えたくなって図書館でこの本を借りました。

 

科学・技術と社会倫理: その統合的思考を探る

科学・技術と社会倫理: その統合的思考を探る

 

 

(関連書)

“個”からはじめる生命論 (NHKブックス)

“個”からはじめる生命論 (NHKブックス)