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『七月の炭酸水』

元翻訳家;仕事 『グループスキーマ療法』,『スキーマ療法実践ガイド』金剛出版 翻訳協力者として (今は事務職で就活中です)

恋愛における無償の愛は可能か?(未推敲・未校正)

恋愛における「無償の愛」そんなもの可能であろうか?
 
結論から言うと俺はそんなもの胡散臭いし、おおよそ簡単にはこの世界に偏在するものではないと思う。
 
例えば、キリスト教の愛の一つの形態の概念として「アガペー」というものがある。
俺は高校生の時はそれはなんて崇高な愛なんだと思ったが、今はぜんぜん違う。
 
臨床心理学を学び、ましてキリスト教信者でもない俺は「精神分析」の身も蓋もない「リビドーの交換エコノミー」を知った者としてはそんなもの形而上的概念に過ぎず、形而下(実際に私たちの生きている生活世界)にもありうるとしてもそれは極めて限定的で虚偽的な可能性が高いと私は感じる。
(*リビドー:平たく言えば対象に向かう強い心的エネルギーとここではしておこう)
 
精神分析的に考えれば、愛し愛されることとは、私の解釈だが両者のリビドー(愛し/愛されること)が厳密に等価ではなくとも、少なくとも2人の間で循環していることが健康的であると考えるし幸せであると考える。
 
無償の愛や俗に言う〈純粋〉な片思いがなぜ愛ではないか。
答えは簡単だ。私の貴重な「自己愛」という愛を対象に備給するだけで相手からは愛(リビドー)は帰ってこない。
つまり、これでは私の「自己愛」を減らし自分自身を全力で挫いている。
 
自分自身を愛せていないからだ。
自分自身の価値を認め自分自身を愛するそこから愛は始まる。
さらに踏み込んで言えば、自分自身の愛は自分一人の愛ではない
その歴史・背景を鑑みればあなたに愛を振り向けてきた両親や友達・親友・他者たちなど様々な愛に支えられ・与えられてあなたがいるはずだ。
 
時に世の中には自分の貴重な愛を一方的に対象に振り向け、不健康な愛にハマっている病理的な人もいるがそれは、自己破壊的で自分を愛せていない証拠であり、それは未成熟なものとしか言いようがない。
 
こと女性によっては母性をくすぐられるだの、母性愛が強いから云々などという人もいるかもしれないが、そういう人には「マターナリズム」(対義語は「パターナリズム」)という言葉を教えてあげた方がいいだろう。
 
(しかし、男女問わず病理的愛にハマっている人は存在するが、ここでは女性の例のみを挙げさせてもらった。) 
 
詳しい定義や詳細などはウィキペディアなどで検索されることをお願いしたいのだが、本稿の文脈からしてみれば、
不適切な女性の母性愛やマターナリズムは結局のところダメな男性をダメなまま甘やかし、自律性を奪い(自律性:自分の足でしっかり立つこと)、飼い殺し的に殺している〈弱者暴力〉に過ぎない。
 
そのようなことは優しさでも愛でもなんでもない。
自分を愛することなく、自分の貴重な愛を対象に投げ出し、貴重な自己の愛を浪費させ、しかも対象をspoilする。それは痛々しい共依存関係にすぎない。
ただの〈弱者暴力〉だ。