文学・小さき存在の声のほうへ ーー翁長雄志さん 「オキナワ 終わらぬ戦争(コレクション 戦争×文学)」
今日の新聞で翁長知事の訃報をみた。
新聞を2誌、駅のキオスクで買って熟読した。
(TheJapanTimesと朝日新聞)
最後まで闘い抜き、小さき者たちの歴史を代弁した人の存在のともしびが消えた。
平熱の戦争。
悲しみの雨の連鎖はいつ止まるのか?(いや、昔から人間の業ではないか)
勝てば官軍なのか?(比喩的に殺されていった存在/存在者たちのゆくえは?)
私たちは、本当に「公共性」を真摯に考えられるのか?
(主権を持つ日本国民として、沖縄の基地負担を日本国民が真摯に考えられているのか)
心静かに私はそんなことを考えた。
私は、ことばにこだわる人間として、文学を読んで受け取ったものから、自分のコトバで考える人としてこの本を図書館で借りた。夏期休暇に読みたい。
私は、Political realism,International affairs,National Security よりも、
自分らしく、地べたの声に耳を澄ませたくなったのだ。
#Immigration #Racism #discrimination
--『「僕たちが勝てば僕はドイツ人に、負ければ移民に映るんだ。それは、ドイツで納税しても、ドイツの学校に寄付しても、ドイツのチームとともに2014年にW杯を勝ち取っても、僕はいまだに社会に受け入れられていないからだ」
エジルはさらに自身に対する人種差別的な言動に言及し、政治家やファンの発言などを引用している。』
(記事から一部引用)