『七月の炭酸水』

うどんが好きな、場末人の生存と残像。

訃報(作家 石牟礼道子さん)

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作家の石牟礼道子さん亡くなったのか…
さっき新聞読んでいて訃報を知った。
個人的認識としては、すごい作家だけにショックだ。
ご冥福を御祈り申しあげるとともに、
また作品をゆっくり再読する機会をもちたい。
最後まで水俣病に象徴されるような
近代の仮借なき暴力に警鐘を鳴らし、
声なき人々の追憶を
殺されたものたちのゆくえを
物語に昇華して代弁し続けたことも
しっかりと受けとめたい。

ベストセラーになっている漫画について

 

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

 

 

この本を原作とした漫画が異例のベストセラーになっているとニュースでやっていた。
わたしはこの本を21歳くらいに読んだきりで読後感は自分がどう在りたいか?
ということを問いかける実存的な部分と社会学的な洞察を促すシーンやマルクスの哲学を平易に語る場面があったと記憶していたがおおむね記憶違いでなかった。自然科学のことにふれていたのは失念していたが、
またもし、気分がのれば、読みなおそうかなとも思う。

最近、健康に幸せに働くにはどうすればいいのか?考えることが多いので
そのヒントになればと考えるが、

今の時代状況の閉塞は出版当時の1937年の戦争の足音を感じるような時代状況の閉塞や格差など似ているところもあるが、経済や政治などのゲームのルールは戻れないくらいに変わっている。

もし、気が向いたとして読んでも感興はえられないかもしれない。
ただ、時代は廻り巡り巡るのだなとひしとかんじている。

最晩年の宮崎駿がこの題名で新作にとり組んでいるのは、
おじさんとして語りかけたいということもあるんじゃないかと思う。来るべきコペルくんたちへ

しかし、来るべき未来の人々に託すだけでは、ダメで
むしろ、今の「悪意に満ちた平和」に巻かれて生きる/仕方無く、世間から打ち捨てられることに怯えて奴隷のように働かされている

我々、なんでもない市井にいきる大人こそ、日々の世知辛い生活体験から自分のコトバで考え社会の在りかたや生き方を問い直さなければ、私達もコペル君のおじさんみたいにはなれない。

前の世代は反面教師だったと言われないためにも。

 

 

漫画 君たちはどう生きるか

漫画 君たちはどう生きるか

 

 (↑ベストセラーの漫画版「君たちはどう生きるか」はコチラ)

小さなエピソードや物語たちが折り重なり、重"奏"され全体をなしている盛者必衰、諸行無常の物語

 

古川日出男 訳ver.
現代に蘇った琵琶法師たちがバンドを組み、
エレクトリックギターを搔き鳴らし、
後ろではドラマーの法師がドラミングをして物語っているような
新訳文体のグルーヴ感と鳴り止まぬビートがたまらん。

繰り返される盛者必衰・諸行無常のサーガ(物語)

 

さいきんのどくしょ2

最近は、武田泰淳を読み返して改めて凄まじい作家だなと感じた。読んだのは、「誰を箱舟に残すか」「蝮のすえ」・「我が子キリスト」・「ゴジラのくる夜」どれも怪物的な文学。
上記の中・短編はいずれも読んでいて面白いエンターテイメント性もあるが「神」がどの作品も通奏低音となって隠しテーマとして出てくる。
それがすこぶるたまらない。
破滅への欲動。世界をリセットしたい気持ち。
まるでナウシカ巨神兵のような《裁く神》が小説世界のテーマの一つとして重厚感を与えている。

もう一つは、武田泰淳の「生の確証」としての肉体性へのこだわり 
とりわけ艶かしく描写される女たち。
女性の生きるしたたかさや計算高さとその強烈なエネルギーに振り回される男たち。武田らしい男女観である。
その人間の禍々しい欲望と《裁く神》の存在が「両義的」に共存しているのも特徴的だし、きになるところ。深く読み解けているかわからないが)

蛇足だが、個人的には今まで潔癖だった故に
そのような人間の生々しい欲望も俺も無頼派的に味わうのも良いかななんて感じた。

 

わが子キリスト (講談社文芸文庫)

わが子キリスト (講談社文芸文庫)

 
ニセ札つかいの手記 - 武田泰淳異色短篇集 (中公文庫)
 
蝮のすえ・「愛」のかたち (講談社文芸文庫)

蝮のすえ・「愛」のかたち (講談社文芸文庫)

 

 

吉野弘『夕焼け』「吉野弘詩集」所収 1971

「夕焼け」

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて—–。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。

 

川上未映子「砂漠、名古屋、銀河、いかが」所収引用

思いだせない口から編まれる言葉のすきまにときおりあなたとわたしだけに光ってみせる光があるから、地味で相も変わらずでどうしようもないようなこの鮮やかな難局を、あなたもわたしも乗り越えることができると思うのです

 

/川上未映子「砂漠、名古屋、銀河、いかが」

 
 
 

朝は詩人

風は長い着物を着て
朝の通りを目覚めさせる
ぼくは朝と手をつなぎ
夜まで眠ることにした

 

雨は遅れてやって来て
村の祭りを中断させた
オートハープを抱えた少女が
駅で電車を待っている

 

君が歌うその歌は
世界中の街角で朝になる
君が歌うその歌の
波紋をぼくはながめてる

 

陽射しは午後の砂浜に
旅行者のように立っている
白い手すりのあるベランダで
夏は鏡をのぞいてる

 

折り重なったままの静けさで
大地は朝を待っている
夜明けの景色につながれて
子馬は水を飲んでいる

 

君が歌うその歌は
世界中の街角で朝になる
君が歌うその歌の
波紋をぼくはながめてる

 

朝は音もなくやって来て
戸口にメモを残していく

たくさんのメモの木漏れ日が

風が吹くたびゆれている

 

君が歌うその歌は
世界中の街角で朝になる
君が歌うその歌の
波紋をぼくはながめてる

君が歌うその歌は
世界中の街角で朝になる
君が歌うその歌の
波紋をぼくはながめてる

 


朝は詩人 友部正人

友部正人 (現代詩文庫)

友部正人 (現代詩文庫)