『七月の炭酸水』

うどんが好きな、場末人の生存と残像。

吉野弘『夕焼け』「吉野弘詩集」所収 1971

「夕焼け」

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて—–。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。

 

川上未映子「砂漠、名古屋、銀河、いかが」所収引用

思いだせない口から編まれる言葉のすきまにときおりあなたとわたしだけに光ってみせる光があるから、地味で相も変わらずでどうしようもないようなこの鮮やかな難局を、あなたもわたしも乗り越えることができると思うのです

 

/川上未映子「砂漠、名古屋、銀河、いかが」

 
 
 

朝は詩人

風は長い着物を着て
朝の通りを目覚めさせる
ぼくは朝と手をつなぎ
夜まで眠ることにした

 

雨は遅れてやって来て
村の祭りを中断させた
オートハープを抱えた少女が
駅で電車を待っている

 

君が歌うその歌は
世界中の街角で朝になる
君が歌うその歌の
波紋をぼくはながめてる

 

陽射しは午後の砂浜に
旅行者のように立っている
白い手すりのあるベランダで
夏は鏡をのぞいてる

 

折り重なったままの静けさで
大地は朝を待っている
夜明けの景色につながれて
子馬は水を飲んでいる

 

君が歌うその歌は
世界中の街角で朝になる
君が歌うその歌の
波紋をぼくはながめてる

 

朝は音もなくやって来て
戸口にメモを残していく

たくさんのメモの木漏れ日が

風が吹くたびゆれている

 

君が歌うその歌は
世界中の街角で朝になる
君が歌うその歌の
波紋をぼくはながめてる

君が歌うその歌は
世界中の街角で朝になる
君が歌うその歌の
波紋をぼくはながめてる

 


朝は詩人 友部正人

友部正人 (現代詩文庫)

友部正人 (現代詩文庫)

 

 

大好きな詩

わたしを束ねないで

              新川和江


わたしを束ねないで

あらせいとうの花のように

白い葱(ねぎ)のように

束ねないでください わたしは稲穂

秋 大地が胸を焦がす

見渡すかぎりの金色(こんじき)の稲穂


わたしを止めないで

標本箱の昆虫のように

高原からきた絵葉書のように

止めないでください わたしは羽撃(はばた)き

こやみなく空のひろさをかいさぐっている

目には見えないつばさの音


わたしを注(つ)がないで

日常性に薄められた牛乳のように

ぬるい酒のように

注がないでください わたしは海

夜 とほうもなく満ちてくる

苦い潮(うしお) ふちのない水


わたしを名付けないで

娘という名 妻という名

重々しい母という名でしつらえた座に

座りきりにさせないでください わたしは風

りんごの木と

泉のありかを知っている風


わたしを区切らないで

,(コンマ)や.(ピリオド)いくつかの段落

そしておしまいに「さようなら」があったりする手紙のようには

こまめにけりをつけないでください わたしは終りのない文章

川と同じに

はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

 

 

新川和江詩集 (ハルキ文庫)

新川和江詩集 (ハルキ文庫)

 

 

【九州の100冊】『幻化』 梅崎春生 死の淵に見た生の輝き

www.nishinippon.co.jp

 

俺が明治学院大学(母校)の一般教養ゼミ(ヘボン塾)の日本文学ゼミで

この梅崎春生『幻化』というテクストでゼミ論を書いた梅崎春生の優れた紹介と読解上の要約記事です。
もしよろしければ、ご一読あれ。

 

 

ソーシャルメディアの時代の(社会においての)メディア機能の変容

今は情報過多の時代で、メディアも(主にネット,SNS)もオプションが増えた。特にネットメディア系の独特の「特性」、もっといえば「負の危険性」、つまりふとしたことで炎上したり、極端な意見に流れやすい10年前,20年前とは全く違ってきている言論形成プロセスが社会の風潮に影響し、既成事実として積み上げられていく流れがあるということも(ここ何年かでの社会におけるメディアの機能の激変)あるかもしれんなと個人的に感じる今日この頃... 
上述のような社会のメディア機能の激変により、熟議的デモクラシーがますます希薄化し、ポピュリズムの大きな伸張に繋がっている情勢の要因の一つになっているような。
かつてハーバマスが刊行した本のタイトルである「公共性の構造転換」がまた新しい感じで進行中なのかも..

追記:ただ、この邦訳文献は大学時代に読んだが、翻訳が非常に読みにくい。しかも、ハードカバーで重いし、そういう意味でも読みにくい。だからどっかの編集者さんが気づいて、文庫で新訳刊行した方がいいと思う。

 

 

公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究

公共性の構造転換―市民社会の一カテゴリーについての探究

 

 

メディア・情報・消費社会 (社会学ベーシックス6)

メディア・情報・消費社会 (社会学ベーシックス6)

 

 

掘り出し物のレジュメ

過去のdocumentをFinderで明後日いたら、ニクラス・ルーマン(社会学者)の「社会システム理論」入門みたいな俺が作ったレジュメが出てきた。
どっか友達か後輩に頼まれて、素人ながらルーマンのレクチャーしたことがあったのだろうか。あんま覚えてなかったのでびっくりした。

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