『七月の炭酸水』

うどんが好きな、場末人の生存と残像。

おこがましいかもしれんが、翻訳に向いてる人の条件(私見です)

 【翻訳をこれまでやっていて思ったこと】

翻訳って当たり前だけど難しい。唐突だが、翻訳ができるようになる条件や翻訳にはこういう人が向いてるかもなということを私見を挟んで書いてみる。

 

・英語の読解力
 これは言うまでもない。英文を見て単語を調べてそれをつなげただけで「はいできました」は通用しない。そもそも日本語になるか怪しい。
構文を把握できる力とそして英文がどういう品詞で組み立てられているかを分析的に把握する力がないと難しいと思う。
 なので最低でも、具体的に書名を出すと、精読力がつくように受験英語のレジェンドである 伊藤和夫先生の「ビジュアル英文解釈Part1・2」を3回丁寧に読み込み、理解して何回も頭に叩き込むことが最低ラインかなと思われる。それで慣れたら伊藤和夫「英文解釈教室」に骨が折れるけどチャレンジしてほしい。「解釈教室」で高地トレーニングをすれば現代の英語は「解釈教室」に載っているようなややこしい英文はないので(古典はどうかわからん)だいたい太刀打ちできると。

 

日本語(文学)が好きなこと・日本語の語彙力
 これは一朝一夕で身につくもんじゃない。普段から読むものといえばインターネットで2ちゃんねるのまとめとか、ネットスラングを多用しまくる人とかは無理だと思われる。そもそもそういう言葉に苛立ちを感じ、日本文学等を読んで日本語の美しさに感動して日本文学作品やある程度日本語の活字を濫読してないと厳しいところがある。

 

専門書を訳すなら、基本的にその分野の学術的なtermやキーワードを熟知していること。
 例えば、俺でいえば「心理学」の本を訳していたけれども、当たり前だが心理学の高度な知識を知悉しとらんと無理。
別に学部で勉強していなくても、最初は日本語のテキストで勉強して、洋書のその分野の決定版みたいな教科書があるからそれを読むと修行になる。洋書の教科書は枕にできるほど分厚いのでとても勉強になると思う。俺は大学でAnthony Giddens『Sociology』や心理学では『ヒルガードの心理学』abnormal Psychologyとアメリカの院生が読むような本を他にも数冊読んだ。

 

・好きな翻訳家がいること。また翻訳書を読んで「この翻訳訳がこなれてない」とか「直訳調で硬い読みにくい」とか感じれるセンス

 俺は村上春樹のティムオブライエンシリーズが大好きで何回も読んだので、やっぱり春樹の翻訳は読みやすいし、違うなと感じていた。実際ティムオブライエンの原著のペーパーバックを読んでも英語のテクストをくぐり抜けてそれを直訳じゃなくてその国の文化も十分に理解しながらテクストをくぐり抜けた体験を自らの日本語で表現しているなと俺は感じたので翻訳って基本的に創造的な営みだと思っている。
 だからこそ好きな翻訳家がいたり、巷にあふれる翻訳の日本語を見て「あれこれ日本語としておかしくね?」とか「読みにくい」「ぐいぐい読ませる文章じゃない」とか感じれたらセンスがあると思う。もちろんそれは正解はないと思う。その人の個性として感じるものも違うし、翻訳は先も書いたように創造する営みの側面もあるから翻訳にもさじ加減が難しいし、クセがありすぎてもダメだが、訳出する日本語などのセンスで翻訳者の『作家性』もある程度だが付与することができる。

 

・大変なこと

 翻訳は頭を非常に使います。体力・タフさ・情熱・規則正しい生活・地道にコツコツやるスキルもいります。あと精神的にかなり疲れます。
例えば、(みすず書房から出るような)難しい哲学書を読むのがとても難儀だと思いますがそれが楽に感じるくらいです。
 もちろん自分で訳す練習をするだけなら気が楽ですが、
ある程度権威ある出版社から出すときには、気をぬいてテキトーにやって誤訳だらけの翻訳書を出すわけにもいきませんし、アマゾンで酷評なんてされたら、わざわざ出版したのに「この訳書は全然ダメだから原著を当たるしかない」とか言われたら出版社もダメージだし、自分も翻訳者としてダメージです。
一文一文気が抜けないわけです。プレッシャーです。
 それとリサーチ力も問われるでしょう。例えば図書館に行って大事典を参照したり、文学作品からの引用があればそれがすでに邦訳文献として出ている可能性もあるので、出ていたら該当箇所を探し出し、巻末に邦訳ではこの文献がありますとか書かなきゃいけないと思います。
あとは締め切りもプレッシャーです。胃が痛くなることもしばしばだし、集中しすぎてご飯が食べられないとかもあります。
とにかく気が抜けないのです。