【再掲】Amazonでレビューした本

件名通り、私がAmazonでレビューした本について

まとめられているアカウントページがありますので、

せっかくですので、掲載いたします。

もしよろしければ、ご拝読いただけると嬉しいです。。

ちなみに読んで面白かった本をレビューしているので辛口のレビューは

ありません。基本的に星5つ。

https://www.amazon.co.jp/gp/profile/amzn1.account.AGL3B66OBNUR662QPBR5ZM4VRIBA?ie=UTF8&preview=true

相模原事件についてのJapan times記事(7/20付)について気になったこと

www.japantimes.co.jp

 

今日の朝、KIOSKでJapan timesを買ったんだが、
相模原事件の記事を読んで、臨床心理学を学んだ者として
思ったことがある。

それは記事を見ると、犯人は以前に「Narcissistic personality Disorder 」 
即ち、"容疑者は自己愛性パーソナリティー障害を罹患していた。"

と記事には書かれていて、私はこのニュースを深く追ってないので
よくわからないけど、当初日本のメディアやマスコミは「統合失調症」だった。
と報道してなかったっけ??と激しく疑問も感じたし、今はそういう認識に
日本のメディアなども変わったのだろうかと思った。

それでも、「自己愛性パーソナリティー障害」という概念自体が
幅広く、人口に膾炙しているとはちょっとこの日本では考えられない。

だから、メディアはDSM5上、「精神病」である「統合失調症」という
報道を当初していたと記憶しているし、メディア側もNPDのことなんて
知らないんじゃないかと邪推しか浮かばなかった。この懸隔は何だろう。

今は「自己愛性PD」のことも触れながら、事件は詳しい本とかで解説なりなされているのだろうか?
記事も社会学者の人がインタビューに答えていたし、記事全体としては
社会学者が社会学な視点から「障害者の隔離」についてインタビューに答えていて
締めくくられていた。

ただ、心理学的な視点から見ると、「容疑者」がNPDに罹患していた過去がある
ということはJapan Timesしか言及してなかったらなんかそれはそれで
問題では?とも思った。

吉野弘『夕焼け』「吉野弘詩集」所収 1971

「夕焼け」

いつものことだが
電車は満員だった。
そして
いつものことだが
若者と娘が腰をおろし
としよりが立っていた。
うつむいていた娘が立って
としよりに席をゆずった。
そそくさととしよりが坐った。
礼も言わずにとしよりは次の駅で降りた。 
娘は坐った。
別のとしよりが娘の前に
横あいから押されてきた。
娘はうつむいた。
しかし
又立って
席を
そのとしよりにゆずった。
としよりは次の駅で礼を言って降りた。
娘は坐った。
二度あることは と言う通り
別のとしよりが娘の前に
押し出された。
可哀想に
娘はうつむいて
そして今度は席を立たなかった。
次の駅も
次の駅も
下唇をキュッと噛んで
身体をこわばらせて—–。
僕は電車を降りた。
固くなってうつむいて
娘はどこまで行ったろう。
やさしい心の持主は
いつでもどこでも
われにもあらず受難者となる。
何故って
やさしい心の持主は
他人のつらさを自分のつらさのように
感じるから。
やさしい心に責められながら
娘はどこまでゆけるだろう。
下唇を噛んで
つらい気持で
美しい夕焼けも見ないで。

 

心的外傷後成長(PTG)とは―逆境で人間的に深みを増す人たちの5つの特徴

susumu-akashi.com

 

PTGは、苦しい経験を通して、単に少し見方が変わった、というようなものでではありません。ちょっとした病気や、人間関係の行き違い、上司や先生からの叱責など、日常的なストレスで引き起こされるわけではありません。

PTGは、英語ではtransformative change、すなわち、人生観が根本から変わるような変化だと説明されています。比喩的な表現を用いるならば、新しい自分に生まれ変わるような変化です。

元に戻るという選択肢はなく、新しいものを積み上げていく以外他にどうしようもない中で経験されるような根本的な変化をさします。(p68)

PTGに至るきっかけは、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に至るきっかけと同じです。

自分にとって衝撃的な出来事、たとえば戦争、災害、犯罪、重い病気、愛する人の死、いじめ、虐待、不登校など、心をズタズタに傷つけ、破壊されるようなできごとが始まりです。

そうした出来事は、自分がそれまで抱いてきた「中核的信念」や「基本的価値観」をみじんに砕きます。

PTGとは、「新しい自分に生まれ変わるような変化」だとされていました。それは、つまり、まず衝撃的な出来事というハンマーで元の自分が粉々に打ち砕かれ、もはや修復さえもかなわず、新しく作りなおす以外に方法がなかった、ということを意味しています。

 >このブログに関する異なる視点からのコメント

臨床心理の修論テーマを最初はレジリエンスにしていて、その後PTGに変更し、更に別のテーマに変更して修了したのですが、レジリエンスやPTGをテーマにしていて調べものをしたり、思考したりしているうちに感じたことを、的確に言い表わして下さっている箇所がありました。

>PTGはなぜ「取り扱い注意」なのでしょうか。
それは、PTGという概念が軽々しく扱われるなら、それによって傷つけられる人がいるからです。
PTGの特徴について考える前に、まず注意しておかなければならない点を5つ考えてみましょう。・・・
>PTG 心的外傷後成長―トラウマを超えてにも、PTGの概念の創始者カルホーンとカデスキーが、「成長を経験したという人でも、どんな人にとっても悲劇や喪失が望ましいこと、あるいは成長にとって必要なことであると結論づけることはできない」と警告したと書かれています。(p50)

まま、自身のまとめ力不足や枚数制限の具合で、到底この概念の取り扱いがどれほど要注意なのかを書けそうにも無かったので、複雑性PTSDをテーマにすることに変えたのですが、今も、この概念と使い方は、ほんとうに細心の注意が必要だと思っています。

 

久しぶりに臨床心理学(特にカウンセリング/クライアント中心療法)の本を読んでの備忘録

 

カウンセリングを学ぶ 第2版―理論・体験・実習

カウンセリングを学ぶ 第2版―理論・体験・実習

 

土日完全offにしたので久しぶりに臨床心理学の本を。 まずは久しぶりに基礎の基礎のうちの1つと言って良いクライアント中心療法の本。カウンセリング的な態度の基礎を養うもの。

11ページまで読んで今回また読み返して得た気づきとして

 
カウンセリング中心療法と精神分析(的心理療法)を比較した時に見えてくるのが両者の心理援助に対する捉え方が微妙に違うことだと感じた。
具体的にいうと、「相手への信頼を通した健康的な成長を促進する」という視点と「心理治療」という両者のスタンスからの捉え方の違い。
 
わずかなニュアンスの違いかもしれないが、
俺はとても重要なスタンスの違いだと感じている。

自分の障害について

ーー変えられないものを受け入れる勇気を
変えていけるものを変えてゆく勇気を

 

昨日ふと思ったことだが、うつ病になってから自分の生活に制限がつくようになったなあ。と改めて思った。

「自分に障害がある」という認識は結構なかなか向き合うことにエネルギーがいることと普段私を見てもあまり障害を持っているっぽく見えないらしいので、あんまり意識もしない。しかし、自分の生活を振り返ればわかるが、自分の障害(うつ病)を寛解状態にコントロールするために自分で努力をしていたり、ある程度の不自由を感じることがある。それを以下列挙してみよう。

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・規則正しい生活リズムの遵守;夜は必ず21~22時に寝て朝は5時に起きる。これはアスリートのように何があっても厳格に遵守している
・うつの症状で「疲れやすく」なっているので、遊ぶ時やどこかに行く時は時間にある程度制限をかけて負担を軽くして症状が出ないように無理な予定を立てない
・車は運転できない,運転免許も取らない(薬を服用しているため)
・食欲があまりない、性欲も普通の人と比べれば淡白(抗うつ剤の副作用)
・テレビを見るのも疲れる時がある。そんな時はラジオ(ラジオだと横になりながら聞ける)
・薬を服用しているため副作用がある。特に代表的なのは抗うつ剤の副作用としての「口渇感」。よって水をよく飲む
・お酒、飲酒は厳禁。(薬を飲んでいるためと脳にダメージが少しでも行く可能性があるため)
・収入は障害年金とパート社員として時短勤務(これから勤務時間を延長するが)による収入。よって、しばらくは一人暮らしをできる収入まで届かない。
・外出・遊びに行く時も長時間はいれない。半日くらいそして最低でも18時~19時に家に帰ることができるように予定を立てる
(睡眠時間に影響が出ないようにするため)
・土日は2日遊ばない。1日は休息・家でのんびりして疲労を取る必要がある
・月に一回は病院に通院

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列挙しただけでも普通の元気な人からは比べると「生活に制限がある」のは明らかだ。
それでも心無い人はうつ病を「甘え」と認識している方々もいる
上記の生活制限や自分で厳しくコントロールをしていても「甘え」という理由は少なくとも私には理解しかねる。
よって俺は自分が「障害」を持っていることについては十分納得して「障害受容」をして身の丈にあった生き方をしようと十分納得している。

しかし、
就労したら障がい者手帳を返上して正社員を目指したいとか十分自分をコントロールしているのか疑問符がつく方も多い。
その気持ちもわかるのだが、この人は"客観的に"自分の限界を見極めて自分に無理のない優しい生き方をしているのか?
と感じることも多い。あくまで私見にとどまるが。そういう方はやっぱり十分自分の障害を納得して「障害受容」しきれていないというかやっぱりそこらへんまだ葛藤がある人もいるのではとも個人的な感想として抱く。

ただ、私は個人的に「障がい者」ということを「絶対に」アイデンティティにしたくはないし、あくまで「障害」を持っているけども、みんなと同じ人間であり、人称性(自分の名前)で呼びかけられる唯一性を持った存在というような哲学で生きている。
だから私は精神障がい者ですアピールは美意識に反するので絶対にしない。たまにヘルプマークをカバンにつけている人もいるけど俺は個人的にそういうことは好みではないのでしていないなー。

【九州の100冊】『幻化』 梅崎春生 死の淵に見た生の輝き

www.nishinippon.co.jp

 

俺が明治学院大学(母校)の一般教養ゼミ(ヘボン塾)の日本文学ゼミで

この梅崎春生『幻化』というテクストでゼミ論を書いた梅崎春生の優れた紹介と読解上の要約記事です。
もしよろしければ、ご一読あれ。