『七月の炭酸水』

うどんが好きな、場末人の生存と残像。

グループスキーマ療法について

 

グループスキーマ療法―グループを家族に見立てる治療的再養育法実践ガイド

グループスキーマ療法―グループを家族に見立てる治療的再養育法実践ガイド

 


こないだGmailを開いて見たら、
私も所属しているスキーマ法研究会メーリスで弁護士の方がGSTを熱心に読んでいる旨の投稿があった。
私は、翻訳協力者としてお手伝いさせていただいたので、とても胸が熱くなった。私がGSTの翻案をしたのが27歳の時である。今でこそ、トラウマ臨床がご専門の白川美也子先生のお手伝いも3年前くらいに「一つの」chapterのみだが”打診をいただき”その時は白川さんのクリニック名義で報酬もいただいたので「仕事」をさせていただいた時があり、白川先生に翻訳についてお褒めに預り、白川先生が監訳者で青柳さん訳者(全部の章を訳す)として訳して欲しい。と言われたのは光栄だった。

ーー(しかし白川先生もご自身のクリニックを運営するご事情があり、これ以上報酬は出せない旨を伺ったので、就職してからなら受けれるかもしれないが、今はできないですとお断りした。)

翻訳の質が上がったのは、勇気を持って、27歳の初めて責任のある2冊の本の翻訳(第一次翻案)担当者として翻訳させていただく「機会」をいただいたのをきっかけに切磋琢磨し続けたことが始まりだった。


繰り返すが、GSTを翻案したのが27歳だったので今の私から見れば、翻案の質は荒かったと思う。拙くとも、自分の「実存」をかけて、九段下のスタバでコーヒーを飲みながら、時には昼飯も食わずに翻訳に集中し、没頭してとにかく当時の27歳の俺の全力で訳した思い出がある。そのようなことを振り返ると、少しでもお力になれた本を真剣に読んでくださる人がいるのは感動的だった。私は一貫して「患者」という言葉を使わず「当事者」と訳した。

伊藤絵美さんがその意向や想いに答えてくれて監訳した全部の章は「当事者」に統一された。その時は本当に嬉しかった。私の存在や意志が吹き込まれている。

それ以後も一貫して伊藤さんの著作は「患者」ではなく「当事者」に統一されている。

他にも自分なりのビートを刻んだ「訳文」へのこだわりは一文・言葉の一単語一単語にあった。(今考えれば、それは若書きの翻案なのでまずかったかもしれないが...)

 

完成されたGSTにも、なにがしか一滴でもいいから、自分の訳文のビート/残響が一滴でもGSTにあったら、本当に誇りに思う。なにがしか関わったのは事実だから。
私は、あくまで今でも「当事者」である。仕事がしたくても、
うつ病の回復度や寛解度がそこまで行ってないので、ストレスかかるとグルグル思考や困りごとが起こったり、疲れやすさ、もともと体力がないので、会社に行ってもうまく身体が働かなかったり、パフォーマンスが落ちてしまうことがあった。前職も残念ながらあえて、自分に厳しく言えばチャレンジは「失敗」だった。
そんなこんななので、本当は私もスキーマ療法を学んだことを活かしたい気持ちもあるが、客観的な自分を見た場合は結果責任が持てないことが明白なことはやりたくない。

 

しかしながら、特にGSTには誰にも負けないくらい思い入れがあるのは確かだなと思った。

*私が白川先生と翻案したのはThe Impact of Early Life Trauma on Health and Disease: The Hidden Epidemic  (published by Cambridge University Press 2010)の「chapter8」 ↓

The Impact of Early Life Trauma on Health and Disease: The Hidden Epidemic

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赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア: 自分を愛する力を取り戻す〔心理教育〕の本

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スキーマ療法実践ガイド―スキーマモード・アプローチ入門

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