持続する〈私〉の意志

昨日考えたことがあった。

 

現下EURO諸国では、みなさんご存知の通り、難民の増加があり、受け入れ国の言語教育支援をしてその国で生きて行けるように難民の受け入れの支援するマンパワーが足りないと。そんな記事を昨日読んでいた。

 

仮に就職したとして、辞めてしまう、会社が潰れる、外資だったら日本から撤退して職を失う。「人生詰んだ、日本死ね」とかになった場合や
就職できなかった場合。

 

生き残ることをして、障害年金を溜め込ますとかして(今も実家にいるので、できるだけ消費を削りコントロールして年金はなるだけ貯金してる)

 

例えば俺だったら、英語とかドイツ語とかはフツーの人並み以上にはできるだろうし、それを伸ばしていけば、例えばドイツ語教師兼日本語教師としてお金を貯めておいて、どこかの大学院に行って教授法を学びそこでドイツやオーストリアやカナダやスイスやどこでもいいが、難民の人たちに言語を教える教師になるとかそういうことも
すんごく難しいけど0パーセントではないからそういう選択肢もありかなと思った。(単なる語学教師ではなく難民の支援や定着をサポートする使命感を持って働くことができる仕事にもなるだろう。)

 

その場合はEUROで住み、祖国(日本)を見限ることになるかもしれんが。(今後長いスパンで見たら日本もEUROも欧州の社会も世界もどうなるか全く分からないと思うが)

 

実際俺も、病気がひどくて動けなかった時英語を勉強したり、心理学、臨床心理学の洋書を読んだりして”生き残って”いたし、それが奇跡みたいに金剛出版という有名な出版社で一番仕事をしたいという方々と一番訳してみたいという内容の本を最後まで投げ出さず訳して、それが本になって巻末にクレジットがのるというほぼ当時の病気で何もできない時の俺にとって見れば限りなく0パーセントに近いことが現実になったということも事実だからだ。

 

やっぱり「奇跡の価値」も人間の意志があるところにこそ価値がある。

 
 

 

生きがいについて (神谷美恵子コレクション)

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