『七月の炭酸水』

作家・アート系気質な場末人の生存と残像。

脆弱な魂の微動

最近、人間として生きるのがいよいよ辛くなってきた。

人間は元来孤独な存在だが、ますます最近の俺は寂寥感を強く感じる。
目を閉じると、無意識からはどうしょうもない自分の魂の〈弱さ〉を突きつけられる。それは自分の男性としての脆さ(異性からの承認が欲しい)という問題である。

 

「人間/男性」をやっている限りこの悩みは付きまとう。

これは女性には理解不能かもしれない。
なぜなら、俺の個人的な経験上は女性というものは
勝手な自分の中の妄想を押し付けてくるか、
俺(男性)を利用するか、男性を経済的な価値で推しはかり、それを養育能力というさもありなんな女性の功利的目線として見てくるような、有り体に言えば、いわゆる男性を一定程度ATMか財布としての機能を計算し要求してくると言ったどうしょうもない女性の醜悪な部分を見せつけられるようなそんな"大人の男性"にイツノマニカ俺も年齢的になってしまったからだ。

 

先ほど、ふと思い出したのだが、
村上春樹の「色彩を持たない多﨑つくる」について俺は
何か〈男性の弱い部分〉とシンクロして救われるような読後感を
持っていたのだが、この小説は概してここ三年私の周りにいた(もういない。交際していたわけでない)年下の女の子3人には極めて評判が悪かった。

大学生くらいが二人でもう一人25歳で

各々、未熟で全然読めてなかったのかもしれない。ブンガク少女気取っていたが。だが、それは偏見かもしれぬが....それが、臆見・誤謬ならば、やっぱりジェンダー的な違いとも言える。

よーわからんが

いわゆる「なよなよしていて決められない『自分を持っていない』(エヴァンゲリオン碇シンジみたいなイメージ)」ところにイライラするらしいのだが、
そういうところは俺みたいなタイプー ただ俺は碇シンジと全くイコールな〈弱さ〉ではない ーの人間には付きまとう〈弱さ〉
なのかもしれない。(個人的には、女性に承認してもらいたい。時には支えて欲しい。頼り甲斐があるとか、金銭的にはぶりが良いとかそのような男性的ジェンダーロール:性役割の息苦しさから時には解放して欲しいということを理解して欲しいということ)
または、男性だったら多かれ少なかれそのような〈弱さ〉を抱えているものなのかもしれない。

 

確かに、進化心理学的には男性は若く健康的で生殖能力溢れる魅力的な女性に惹かれる傾向があり、女性は養育能力=財布 がある男性と配偶したくなるという傾向がどこの国でも共通してあるそうだ。身もふたもないし、男性にも若い女性に惹かれてしまうという女性から見たら鼻をつまみたくなるような傾向があるのは否めないし、俺も男性としてそのような傾向はある。

 

しかしながら、マクロ的な統計データと個人は別問題なので、進化心理学的にそうだから、そうとは限らないし、他でもありうる自由と希望はあるだろうが。

「人間」というものがそもそもそういう存在であるなら人間活動をやめたい(≒消えたい)とか思った。

しかし、それはますます孤独を強め、俺の魂をおそらく蝕むだろう。