『七月の炭酸水』

うどんが好きな、場末人の生存と残像。

「翻訳について」



 翻訳って本当に難しいと痛感する。
特に実際の翻訳の仕事をやってみて振り返ってみるとそれを痛感する。

俺は結構真面目で、(翻訳)仕事に対しては没入し、
「神は細部に宿る」ということでディテールにもこだわって仕事をしたつもりだ。

 

 しかし、やっぱり2つ翻訳しただけじゃ、後から、誤訳や訳文のこなれなさに後悔することもしばしば、
初めてやった翻訳の仕事はちょっと初めてなので混乱して訳した箇所があったかもなあと。それでも投げ出さないで最後までやったことはとても自分自身自信になった。
2回目は一回目を最終稿まで出したということでかなり、訳文は綺麗でブラッシュアップされていると感じた。


 翻訳翻案は提出してしまったが、迷いがある単語・語句が一つだけあったある場所で「Ehical~」を「倫理的な基準」と訳したことになんだかそれで良かったのかという疑念が俺的にはある。直訳的にやればそれでいいと思うのだが、後で見返してみると「生き方」としたほうが日本語の文脈上良いのでは?と数ヶ月前から思っていた。その場合は「Way of life」という英語が正しいと思う。そうでないと「生き方」とは訳せない。しかしながらもちろんかなりの意訳なので危険な訳文だとも言える。しかし、翻訳とはただ訳すことではないと俺は感じる。

むしろ自分の中で消化して「書く」ことだと思う。

 なので創造的な行為だと今のところ思っているが、さりとて原文のニュアンスを暴力的に意訳することと、日本語の文脈に合わせて読者がより硬質の文体ではなく分かりやすくと思ったつもりが冒険的な訳文であることは間違いない。

そこでジレンマが生じる。そういうことを考えるとなんだか本当に繊細で奥深い職人芸みたいな作業だし、(そこには文化の違いと他国の文化を基盤とした言語のニュアンスや使われ方の違いもあるだろう。もちろん原著者の文体も。)さじ加減が難しい問題である。

 

 多分、こういう試行錯誤や場数、反省を踏まえながら、翻訳の質を上げていくしかしょうがないのだろう。