『七月の炭酸水』

作家・アート系気質なのに、会社員な人の生存と残像。

学問・教養と文芸批評

 21か22歳の時のハナシ。

「文芸批評」ということについて論を進める前に考えていた。
結局、そんな物は堂々巡りであり、わかるはずもなかった。


提出期限は過ぎたが、なんとか梅崎春生について書いた。
ガッツのない親友の増田くんは諦めて後期のゼミに脱落した。
しかし俺は病気もあったが、なんとかガッツを見せて期限過ぎて中間報告論文を提出をした。

 なにかフロイトのエロスとタナトスとかバタイユのあーじゃいこーじゃい、漫画ヒミズなどを引きながら梅崎春生について論を進めた。
訳がわからねえ論文だと思うが、人間の暗黒について向き合っていたような気がする。
当時は病気になったばかりで彼女にフラれ、暗黒退廃ロードをまっしぐら、映画タクシードライバー的なことをしそうな精神状態だったから。

 後期のゼミ俺の中間報告について血走った目でハンドアウトを作り、発表をした。
もちろん日本文学の先生からは「煮詰まった大学院生みたい」「梅崎春生をダシに使っている」という酷評。
しかし、戦後一、二を争うような知る人を知る小説を選んだのは先生も驚いていた。

 最近戦後70年ということもあり、批評家の加藤典洋の作品を読み直している。
加藤典洋はまだ俺が明治学院戸塚キャンパスにいたとき、まだ早稲田に引き抜かれず、戸塚キャンパスにいたから今考えれば「言語表現法講義」に潜ればよかったと思っている。

 加藤典洋と言ってまずフォーカスが当たるのは敗戦後論だろう。
彼は敗戦後論の次に連載した作品『戦後的思考』でこう云う。
「僕は電車で言えば最後尾の方から物事を考える」
ということだった。どういうことかというと、思想というものは流行がある。
ポストモダン思想、最近で言えばデリダアガンベンルーマン・バトラーetc...
そういう最新の思想を吸収しながらものを考えるのではなく、一番後ろの方(戦前・戦後)から考える(とくに加藤典洋の場合は主に文学者や日本文学・思想から読み取ったこと)ということを云っていた。

俺の場合、85年生まれ、昭和の終わりに産み落とされた、戦後の残響をかろうじて残すようなときに生まれた世代だ。もちろん小さかったので、天皇崩御とか昭和から平成になるなどの意味は理解などしていない。

 俺が加藤典洋のいう「最後尾から考える」ということをまざまざと思い知ったのは、(純文学での)戦争文学からである。梅崎春生などももちろんその典型である。戦中に青春を賭け、戦後、戦中の価値観が粉砕し180度世間が変わって、青春(戦中)の亡霊として戦後を〈生きられなかった〉梅崎春生
ここの戦中から戦後の断絶にこそ継続したものがあるのだということを見ること、それを戦争文学から学んだものの一つだと感じている。

そこをちゃんと消化しないで、前の車両のしかも日本ではない思想(フロイトバタイユとか)を吸収しながら梅崎を語るのはなにか、それこそ梅崎をダシにしているという先生に言われたことが腑に落ちる。
それこそテクスト論的読解に淫していた頭でっかちの論文だったなあと。

 だからこそ今はなにか遠回りして軽い感じでなにか文学や批評の営みに触れることが出来そうだ。
批評理論は学問だが、批評は学問ではない。

加藤典洋『ぼくが批評家になったわけ』でこう記している。

 

ーー「批評とは、本を百冊読んだ相手に、一冊も本を読んだことのない自分がテクストの意味だけを手掛かりにしてサシで勝負を挑むゲームだ」

 

 

なにか百冊読もうと若き日に遠周りしてきた俺にとってはやっと批評という営みについて氷解・消化出来た気がする。

 

僕が批評家になったわけ (ことばのために)

僕が批評家になったわけ (ことばのために)