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『七月の炭酸水』

元翻訳家;仕事 『グループスキーマ療法』,『スキーマ療法実践ガイド』金剛出版 翻訳協力者として (今は事務職で就活中です)

書くこと、金を取ること、日々奪われ続ける私の生存と自由

 たった一人ぼっちでの、3ヶ月の就職活動を終えた。

どこにも内定が出ず、感情が麻痺した。シュタージのエージェントのように邪悪な魂がこころの中で蠢いている。

俺は不自由だ。徹底的に。自由について思索したアイザィア・バーリンの言葉によれば、「消極的自由」(自分の価値観などに干渉されずほっといてもらえること)は在る。だが「積極的自由」(自分が何か積極的に社会の中でやりがいを持ちながら行使する自由・自己効力感みたいな感覚)はあまりない。

実家に経済的に依存し、経済的に自立を果たすということができていないという圧倒的な不全感。
もちろん、勤めていないので給料もボーナス(賞与)もない。欲しいものも最小限に絞っている。旅行にも行けない。
屈辱と汚辱。

 唯一俺が誇りをかけてやれた仕事といえば翻訳くらいだ。
俺はおこがましいかもしれないが自分の翻訳に関しては並々ならぬプライドを持っている。まだまだ荒削りだが、自分の翻訳は創造行為を通した作品(そんな大それたものじゃないが、小学生の創る自由な発想の絵や粘土の作品も立派な作品だ。作品は確かに質あるがそれ自体、貴賎のつくものじゃあるまい。)だと思っている。直訳で訳すということはだれにでもできる。しかし翻訳者としては原文テクストの海から、自分の魂を、ビートをベースラインとしてオリジナリティをこなれた日本語の中に些か付与するというところまで行かなければいけないと思う。
村上春樹の翻訳を英文と照らし合わせた経験があることからしても(ティム・オブライエンの一連の作品)優れた翻訳を見れば明らかだ。
しかしながら、自分にとってのプライドをかけた翻訳も全く金にならない。石川啄木のような心境だ。

 自分の生存、自由を勝ち取るために就職活動を続けているが結果は殲滅。
就職したとしても、条件の面だったり様々なことで妥協を強いられるかもしれない。
働きやすくない職場かもしれないし、自分のスキルを腐らせるまたは自分の成長を阻む環境のような職場かもしれない。

 それでも俺は自分の生存と自由を賭けてあがく。
いや、そんな強くはない。途中で何もかも捨てて自分の人生を見限って死ぬかもしれない。でもそれはそれで仕方ないとみんな諦めてくれとしか言いようがない。
俺は俺のできる限り、やることは身を削りながら努力しやったと言えるのだから。
それはどんな努力論があったとしても、個人の努力じゃどうしょうもなかった。
人間というものはイカれやすいアタマを持ったものなんだ。

 

 そんなに個人が絶望・屈辱を背負って目に力がどんどん失せればそれは個人の責任ではないと俺は感じる。
そのような人間として基本的な生存を提供できる環境を用意できなかった社会や他の人たちが悪いとしか思えない。
 よくある自己啓発本に「社会に文句を垂れるのなら自分が変われ」とかそういうような言葉も一理あるだろうが、それにも限界はあるだろう。
そこまで人間が追い詰められるような社会の在り方がそもそも何か病んでいるのだ。ある側面から言えば、俺が患者じゃない。社会が患者だ。