『七月の炭酸水』

うどんが好きな、場末人の生存と残像。

誰も戦争を教えてくれなくても、文学でなら追体験できる

 

文学をとおして戦争と人間を考える

文学をとおして戦争と人間を考える

 

 

 私の好きな作家、町田康は「読書する」という体験はそれだけで日常〈いま〉を離れた世界を追体験する行為だ。
というようなことを言っていたことがある。
この本は様々な角度やテーマから太平洋戦争時の体験を綴った戦争文学を読み解いてゆく。

 この本が価値を持つのは、いまでは絶版で手に入らないものや希少な本も題材にしており、その点で戦後〜昭和〜現在を経る中で忘れ去られていった文学をも掘り起こし、対談や解説をしているのでそれらの希少な本を公共図書館で丁寧に発掘してみたり、幅広く戦争体験を綴った文学を参照することができ、その作品にアクセスする導きにもなる。


もちろん筆者が戦争を生で体験した世代なのでその体験者が文学を通して戦争と人間を考えることにはそれなりに重みがあるし、傾聴に価する。
そこから戦争の空気感を感じることもできるし、どのような状況でこの本で検討される文学作品の筆者が作品を書いたのかというところにも触れているので、その時代状況を想像しながらテクストを読み解いていく重要さも私は感じた。

 いずれにせよ、この本を手掛かりにして、さまざまなテーマで作家たちの描く戦争に関わる体験を綴った作品を”じかに”自分の読みで追体験してみることで〈いま〉から離れ、その時代、状況での世界観に対峙し、自分はどう感じたのか、自分だったらなにをし得たか/し得なかったか、そこから「戦争と人間」についてなにが洞察でき、なにが言えそうなのかを自分のコトバで考えてみることが大事なことだと思う。