『七月の炭酸水』

作家・アート系気質な場末人の生存と残像。

桜の森の満開の下

春は魔物なので、最近、首を吊って死のうかなと唐突に考えることがある。

そして、桜の森の満開の下の季節がやってくる。どうしても、桜を見ると、

その下には気を狂わせるような死のイメージがあるあの坂口安吾の『桜の森の満開の下』という作品のイメージが湧いて生と死は表裏一体なんだな。だから桜も輝いて見えるほどに息を詰まらせるほどうつくしい。

 

 

桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)

桜の森の満開の下・白痴 他十二篇 (岩波文庫)

 

 

長田弘「立ちつくす」

朝の、空の、どこまでも、透明な、薄青い、ひろがりの、遠くまで、うっすらと、仄かに、血が、真っ白なガーゼに、滲んでひろがってゆくように、太陽の、赤い光が、滲んでゆく。一日が、はじまる。――ここに立ちつくす私たちを、世界が、愛してくれますように。

 

子ども情報ステーションbyぷるすあるは

私も子どもの時から母がうつを抱えていました。
このような啓発活動はきっと(かつての私)と同じような境遇で
一人ぼっちで不全感を抱えながら生きている子どもたちの希望になるはずです。

啓発活動がなされることで子どもの心の痛みや不全感が社会に顕在化し、
社会が理解してくれることで当事者の負担がどんなに軽くなるだろうと
感じます。

それは、居場所を作ったり、当事者たちが支えあったり、
周りの人の理解や支援を得られることができることにも
繋がると思うので。

私も応援したいと思っています。

 

 

「メディア掲載ほか」─精神障害の親をもつ子どもの立場の方の声など - 子ども情報ステーションby ぷるすあるは

HPのトップ↓ 

kidsinfost.net

 

 

ーー以下は「子ども情報ステーション by ぷるすあるは」精神障がいやこころの不調、発達凸凹をかかえた親とその’子ども’の情報&応援サイト」からの引用です

精神障害の親がいて」
今年1月、朝日新聞に3日間の連載がのりました
2月には反響編も
取材、執筆された久永記者によるコラムです
子ども情報ステーションの情報ページにもふれてくださっています
子どもへの視点、家族への視点、必要な情報と応援がひろがりますように

http://www.asahi.com/articles/DA3S12832220.html
(無料ですが全文を読むには登録が必要です)

 

『夜中の雨が』

 

夜中の雨が 私の眠りをたたく

夜中の雨が 私の胸のむなしさをたたく

 

風は消える

 

樹々に降る雨の静けさの中に

 

追憶はとけてゆく 木の葉をたたく雨音の単調さの中に

 

夜中の雨が 人生の遙かさを奏でる

夜中の雨が 私の悲しみを濡らす

 

 

 

 

 

絶望と希望

「生まれてこなければよかった」そんなこと思った夜が数えきれないほどあった。それでもわたしはずるずると生きてきた。

いまは「生まれてこなければよかった」と人々に思わせるあらゆる世界の悲惨や障壁と向き合って闘って、逆らって生きてやろうときめた。

いろんな人のおかげでここまで来たんだ。

 

「母性の宗教」

 

切支丹の里 (中公文庫)

切支丹の里 (中公文庫)

 

 

 

キリスト教文学というか、隠れキリシタンキリスト教を切り口に
人間心理に対する哲学的とも言える「問い」とそれに対する〈弱き者〉の心情から人間を考察・探求してゆく遠藤周作の『思索』こそが遠藤の文学なんだと感じた。

ーー踏跡で黒ずんだ一枚の踏絵を見た感動から、基督教禁止時代の殉教者よりも、棄教した宣教師や切支丹の心情に強く惹かれた著者。島原などの隠れ切支丹の里を訪ね歩き、基督教が日本の風土と歴史の中で変貌していく様を真摯な取材と文献の中から考察する。名作『沈黙』を貫く著者独自の思想がうかがえる紀行・作品集。
(背表紙解題より)

私の感受性くらい....

欲の深い人は浅ましい。と私の感受性は感じる。
高層ビルのてっぺんかなんかでディナーといって、フェイスブックにあげる人などいるけど俺はそういう人種とは付き合えない。
羨望ではない。
シリア難民や世界中でも苦しんでいる人がいるし、日本でもいまだに東北や熊本で苦しんでいるひともいる。
そのことを考えると、たとえタワーのてっぺんでで超高級ディナーを喰っても罪悪感からちっとも俺はうまく感じないだろう。それならおれは困っている人への炊き出しの方が百万倍うまく感じるし、大事な人のためにつくる手料理の温もりの方がどんなにうつくしいことだろう。
思いやりの気持ちや優しい気持ちは目に見えない。
ほんとに人間の感性はさまざまだ。
だが、おれはそういう感受性をもちながら存在している。
それは分かり合えない悲しみも生むことだ。わざわざビルのてっぺんで高級なディナーを食べる人々はそれ相応の感受性と存在の仕方をしている。
俺の感受性とそのような感受性どっちがいい悪いはない。
しかし、分かり合えないということが悲しい。
いつから私たちはバラバラになったり、分断されたり、水を分けあえることもなくなってしまったんだろう…